Jan 16, 2010

コピー用紙は自分で用意しろ

コピー用紙は自分で用意しなければ足りなくなる。これは、大学の共用プリンタのことだ。報告書発行日が迫っているのに、誰かが印刷ボタンを押したままにドルアガゴたりすると、自分が設定したコピー用紙が無駄になってしまう。そんなことで、新しく陣したりすると、その下手するといいか分からないので腹が立つ。
私たちの会社も経費をできるだけ削減する必要が工夫しています。たとえば、コピー用紙の購入も二転三転し、現在に至っています。以前に某店より購入しています。その試みは、ホームセンターの安価なコピー用紙を大量に購入。しかし、最終的に安価な製品は、粗悪な紙に何度も購入した後、元の店よりも、以前よりもやや安価なコピー用紙を務めていました。
 宮崎県都城市高崎町の農場で口蹄(こうてい)疫の疑いが否定できない症状の牛5頭が見つかった件で、農林水産省は26日、動物衛生研究所(東京都小平市)の遺伝子検査の結果、陰性だったと発表した。口蹄疫の感染疑いは否定されたことになる。

 5頭は25日午前、口内や舌にただれなどの症状が見つかり、研究所で検体を詳しく調べていた。

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 天皇、皇后両陛下が5月の大型連休前後に、東日本大震災で被災した宮城、岩手、福島各県を相次いで訪問されることが正式に決まり、26日の閣議で報告された。
 宮内庁によると、両陛下は、27日に宮城県、5月2日に岩手県、同11日に福島県を訪問。いずれも自衛隊機で各県に入り、県内はヘリコプターなどで移動する。宮城県では、南三陸町の中学校や仙台市の体育館を訪れ被災者を見舞うという。
 両陛下は、被災地の状況に大変心を痛めており、震災直後から被災地訪問を希望。行方不明者の捜索などが続いている状況を踏まえ、現地入りを控えていた。両陛下はこれまでに千葉県旭市と茨城県北茨城市の被災地をそれぞれ訪れている。

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 自民党は26日朝、衆院愛知6区補欠選挙と統一地方選を受け、党本部で「全議員・選挙区支部長懇談会」を開いた。しかし、途中で火災報知機が鳴り、避難指示が出たため中断。同日昼に再開することになった。懇談会後に党本部で予定されていた役員会も国会内に場所を変更した。

 午前8時から始まった懇談会では、谷垣禎一総裁が「菅政権がこの国難を乗り切ることに対して国民は極めて重大な懸念を持っている。われわれは是々非々で臨まなければならない」とあいさつした。

 その後、出席者から意見を聴き、菅直人首相の早期退陣に向け攻勢を強めることを確認する予定だったが、意見聴取が始まる前の午前8時20分すぎ、河村建夫選対局長が選挙結果を報告している途中に突然「9階で火災が発生しました」と自動音声のアナウンスが流れ、出席議員らは屋外に避難した。

 石原伸晃幹事長は記者会見で、火災報知機が作動したことについて「(党本部9階の)配膳(はいぜん)室で探知機が作動した。火災は発生していない。誤作動の可能性も含め調査中だ」と説明した。

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 岩手県陸前高田市にある創業200年のしょうゆ醸造会社「八木澤商店」は、東日本大震災の津波で建物や生産設備、原料を流された。だが、9代目社長、河野通洋さん(37)の元に今月中旬、1本の電話が掛かってきた。「『もろみ』は生きているよ」。しょうゆの味を決める「命」を守った研究所からだった。絶望の中、ようやく一筋の光が見えてきた。【野口由紀】

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 3月11日、気仙川を逆流してきた津波は堤防を越えると、容赦なく建物を押し流した。もろみを発酵させる酵母菌や乳酸菌などの微生物は土蔵によって異なり、味の違いを生み出す。八木澤商店の「命」を収めた土蔵も崩れ去った。

 「何とかもろみを見つけられないか」。社員はもろみを入れた14個の木おけを探した。ようやく、気仙川の川上約700メートルのところで1個発見した。しかし、海水をかぶっており、生きているか分からない状態だった。

 そんな中、北里大学海洋バイオテクノロジー釜石研究所(釜石市)から電話があった。

 八木澤商店が釜石研究所の要請を受けてもろみを研究用に譲ったのは、わずか2、3カ月前だった。釜石研究所は沿岸にあり床上浸水はしていたが、1キロのもろみはビニール袋に収められていたため無事だった。

 思わぬ朗報に河野社長は「何とか伝統をつないでいけると、跳び上がらんばかりの気持ちだった」と振り返る。5月から県の研究機関に場所を借り、醸造を始めるつもりだ。

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 八木澤商店は1807(文化4)年創業。県産の大豆と小麦を使うことにこだわる。「ヤマセン醤油」のブランド名で知られ、県内と東京に出荷している。焼き魚に垂らすとほわっと広がる香りが食欲をそそると評判だった。

 本社は陸前高田市の気仙川近くにあり、黒壁と格子状のしっくいが盛られた土蔵は町の名所になっていた。

 震災では、消防団の活動をしていた営業課長の佐々木敏行さん(当時47歳)を失った。その中で、河野さんは今春、父和義さん(66)から社長を引き継いだ。「こんな時こそ、若さが必要だと思った」からだ。

 会社は陸前高田、一関両市の仮設事務所で営業を再開したが、39人いる社員の多くは親族を捜したり、消防団の遺体捜索活動に参加しており、全員の復帰はまだ先だ。顧客の多くも被災しており、自社工場での醸造が実現するまで何年かかるか分からない。

 伝統の味は、会社は、守れるのか。河野社長は「社員や仲間を亡くし苦境に立たされているが、伝統を守り、地元の人たちに勇気を与えたい」と前を向く。

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 八木澤商店には、全国から激励の手紙が次々に寄せられている。

 23日、宮城県から来た男性が、仮設事務所を訪れた。「前払いさせてほしい」と言って、いつ販売できるか分からない商品の代金を預けていった。製造設備を取り戻す道は険しい。だが、戻ってきた社員たちは顧客への礼状を書くことから歩みを始めた。


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